檀家さんと寺族の価値観のギャップについて
今日「おや?」と思うことがあったので、このモヤモヤを聞いてください。
我が寺院では、今月末初めて“清掃奉仕”を開催します。
理由は、檀家さん同士の交流を深める場づくりをしたかったからです。
そして“清掃奉仕”とは、
清掃を通して、仏様に謹んで仕えること
利害を離れて仏様のために掃除に尽くすこと
と私は認識しています。
つまり、『お寺・仏様は僧侶や寺族のためのものではなく、
地域や檀家さまといった皆さまのものであるため、
掃除を通して仏様に日頃の感謝を伝えましょう』というものです。
しかし、中には清掃奉仕の本意をご理解頂いていない方がいらっしゃいます。
「坊守(おくり)が楽したいから、私たちに掃除をさせるのでしょう?」
「人に掃除させておいて、あの人(坊守)は出歩いてばかりじゃない」
と。
自分たちにお寺の掃除をさせることに納得がいっていないようです。
今日、隣町のお寺さんの悪口をわざわざお義母さんに告げ口しにきていました。
そのせいでお義母さんは「やっぱり新しいことなんてしない方がよかったのかしら」
とすっかり弱気になっています。
ここで一言言わせてください。
「それはおかしいのでは?」
確かに、掃除は坊守の仕事です。
常に本堂や境内は綺麗に整えておく必要がありますし、日々努めています。
しかし坊守というのはあくまでも
お寺に仕えている僧侶の一人であって、
誰よりも仏様の近くで清掃奉仕をし続けている存在なだけなのです。
私たち寺族はお寺で暮らし、仏さまのおかげで収入を得ていますが、
もう少し突っ込んだ言い方をさせて頂くならば、
お寺・仏さまのおかげでお布施を頂ける
↓
そのおかげで私たち寺族は生活できる
↓
生活できるので、お寺の存続を維持できる
↓
結果、廃寺にならず先祖代々のお墓を守り続けられる
とも言えるのです。
この考え、価値観は寺族だけなのでしょうか?
世間とズレた価値観なのでしょうか?
寺娘として生きてきた私にはよく分かりません。
ただ、一つ言えることとしては、私たち寺族は決して
「仏様=私たちだけのもの」とは思っていません。
檀家さまがたに支えられてお寺が存続できていると同時に
みんなでお寺を守っていきたいと考えています。
とりあえず、
坊守は外に出て行くことも許されないのかよ!
と思ったので、書いてみました。
おわり